カテゴリ:思う事( 14 )

いろいろ

色々と感じながら、考えながら毎日が過ぎていきます。
今までに比べ、制限の多い環境というのは、今までとは違った思考を巡らせる好材料でもあるようです。

先日、Knicksでお世話になっていたヘッドATのRogerからメールが届きました。
How are you my friend?から始まる、特に大きな内容はない近況報告のメールに、彼の温かみを感じました。
数多くのATが夢見る場所で働いているにも関わらず、ここまで小さな気配りをしてくれて謙虚なRoger。
今の自分には驕るに足りる材料すらないので心配はありませんが、将来何かを成し遂げた時でも、彼のようにありたいと思います。

MSUの学部長(?)からメールがあり、なにやらAssistanshipとは別の奨学金(Fellowshipというやつ)をもらえる事になったらしい。
応募もしていないし、結構な額だし、自分の何が選考に足りたのかもサッパリ分からないけれど、有難く受け取らせてもらいます、と返事をしました。



多くのことを考えすぎて、時々頭がショートしかけますが、こんな経験もきっとありなんでしょう。

頭がショート、と言えば、台湾で床屋さんに行きました。
エプロンを巻いたおばちゃんに、フィオナの通訳を介して切ってもらいました。
"最新日本的髪型"と謳ってあるだけあり、06年のボウズスタイル集みたいのが置いてありました。
やはり見本があったほうがいいだろうと、その中から良さげなのを選んでおばちゃんに渡したものの。
扇風機の風にあおられ、バリカン片手のおばちゃんが眺めているのは別のページ。
あやうく面白い頭になるところでした。
30分以上かけて切ってくれて、なんと日本円にして600円。
評判はまちまちですが、スッキリしたので個人的には満足です。


結婚式の準備もちょいちょい進んでいて、今日は自分が着るものを予約してきました。
色々着せてもらって、思いのほか結構楽しかったです。
海外での挙式ということで、結婚式には自分からの招待は誰にもしていなのですが、日本からはるばる来てくれるという友達が増えて、とても嬉しいです。
そんな友達にも楽しんでもらえるように、しっかりと準備を進めようと思います。
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by u2k_maru | 2009-06-21 16:04 | 思う事

卒業

若造だと思っていても、20代後半になって、お嫁さんももらって。
どう生きていくか、という事を今までとは違った角度から考えるようになっています。

“頑張る”という行為は一種の麻酔のようなものらしいです。少なくとも、自分にとっては。
不安に対抗するには、一番手っ取り早く、そしてそれなりに効果もあります。

今も、1人の人生ではなくなった(今までだってずっと家族、友人に支えられてたけど)ことから来る経験したことのない責任感や、来る夏から始まるミシガンでの生活などを考えると、不安が無いワケがありません。
自分はとても臆病です。
今までだったら、それをかき消すために、”もっと頑張る”という選択肢をとってきました。
が、この生き方からは卒業しないといけないかな、という気がしています。
この生き方一本に頼ることからの卒業、と言ったほうが正確でしょうか。

運がいいことに(いいことかどうか、はここではやめておきます)、今までの自分にも、これからの自分にも、明確な目指すモノがあります。
それに向かって自分のペースでそれに向かう事が今までの自分の人生のベースでした。
自分のペースを崩されるのは好きではないし、その目標に向かっている自分、向かっていく感触に満足感を覚える性質のようです。
(それが努力をする人、という錯覚を周りの人にさせるようです)
が、これからは今までどおりのやり方が出来るわけがないし、そうするべきではないでしょう。

今まで、「自分らしさ」を形成していた中心となる価値観を変形させていく時期のようです。
(捨てるわけではありません。不可能でしょうし。)
この状態で新しい環境に向かっていくのは、今まで以上のプレッシャーを感じますが、ここは二人三脚でやっていけたらな、と思っています。

まとまりが無い文章ですが、こんな事を考えていたな、という記録の為に残しておくことにします。




今日の台湾は、一日中雨。
梅雨の時期のように湿っています。

あ、このブログを読んでくれている友人達で、7月の結婚式に観光がてら行ってやるか、という人がいたら、連絡ください。大歓迎です。
台湾で行うので、国外に来てもらわねばならないために、自分のほうから招待する事はしていません。
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by u2k_maru | 2009-06-05 01:31 | 思う事

バランス

性格、能力、理想。
この三つのバランスがとれていない人って、苦労するんじゃないかな。
今の自分はきっと、理想の部分だけ飛び出ているんだと思います。
それに続いて、理想に近づきたいと願う、諦めの悪い性格。
で、最後に能力が、ちょこんと。
まだ飛び出ている部分を引っ込めてバランスをとろうとは思いません。(←性格)

学べば学ぶほど、自分の無能さに気づきます。
それと同時にやってくる、自分の描く理想にたどり着ける日はくるのか、という不安。
一生勉強、とは中々に聞こえがいいものですが、それは同時に、一生自分の無能さと向き合うという事でもあると思います。
そして、それは結構しんどい事なんじゃないでしょうか。
どっかで、はい、ここまで、と区切りをつけたら、きっと楽なんだろうな、と思います。
ある程度まで行けば、その惰性でそれなりに生きていくことは可能ですから。
でも、それが出来ないであろう自分の性格は、自分がよく分かっています。
まぁ、"楽しい"という感覚がなくなった時が、引き際なんでしょう。
それまでは、多少の葛藤があろうとも、自分なりに登っていこうと思います。


進路が決定してから(もう一山ありそうな気がするのですが。理由なしの直感です)、いまいち勉強の方向性というか、やり方が定まらずにいました。
自分には足りないものが多すぎる故です。

が、とりあえずNYにいる間は、ひたすら文献を読み漁ろうと決めました。
読み方も、以前のように必要な部分を掬い取るのではなく、それこそ一字一句、言い回しや書き方にも注意を払いながら、じっくり読んでみようと思います。
当然、文献を読み理解する為にはBasic Scienceが重要であり、文献の中でも理解している事が前提となっています。
そこも、分かっている気になっていないかを確認していこうと思います。

3月だというのに、雪が降りました。
湖に戻ってきた水鳥たちが、"やべぇ、ちょっと早く戻って来すぎたか"と言っていそうです。
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by u2k_maru | 2009-03-03 14:36 | 思う事

Happiness is...

幸せとは。。。
この続きに、どんな言葉をいれますか?

久しぶりに映画を観ました。
映画館ではなく、DVD鑑賞です。

観た映画は、"Into the Wild"
この作品には、思い入れがあります。

自分がアメリカに来て、最初に読んだ英語の小説が、この映画の原作です。
Winonaにいた時の英語のクラスで、この原作を読んでペーパーを書きました。
映画化されたことは、どこかで聞いたか見たかで知っていたのですが、先日、町の図書館で遭遇しました。



Happiness is real only when shared

作品中の言葉です。
家族、恋人をはじめ、会いたい人は沢山います。
でも、寂しい、という感情にはあまりなりません。
これはいい事か、そうでないかは分かりません。
日本にいた時、たまに1人でバイクに乗って"観光地"と呼ばれる所にいきました。
今考えるとあれは、いい景色をみて、"誰かと共有したいな"と自分に思わせるための行動だったような気もします。

ニューヨークに住んでいて、マンハッタンからも遠くない。
色々な刺激は、溢れているはずです。
でも、1人で行く気にはあまりなりません。
相変わらず、寂しいという感情にはあまり縁がありませんが、日本にいた時の自分とは違うのは、確認するまでも無く”共有したい”という気持ちがあること。
1人で見る有名な芸術や建築よりも、大切な人たちと見る青空でいいんです。
もちろん、そういう人たちと価値があるとされているモノを共有できたら、それもまた素敵だと思います。
ちょっと年をとったのでしょうか。

話がちょっと逸れましたが、原作、映画ともにお薦めです。
特に、高校のバスケ部仲間には、好きそうな輩が多そうです。

さて、タイトルのHappiness is...ですが、共感できる言葉はありますが、自分の答えはまだ分かりません。
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by u2k_maru | 2009-02-23 08:43 | 思う事

知らない方がいいこと、ってあると思う。
気が付かない方が良かったこと、っていうのもある。

と、こんな事を書くのは、気が付かなかった方が良かったな、と言う事に気が付いた(気が付いてしまった)から。
その時点で、もともと自分の中にあった訳だけど、それに気づかないままの方が良かった気がします。
これは、自分を偽る、という事なのでしょうか。
ちょっと分かりません。
で、当然、自分が気づかない方が良かった、と思うことですから、人が読むこの場に、それが何かなんて、書くつもりはありません。
なら、書かなければいいじゃん、ってなるかもしれませんが、書いておこう、という気になったので仕方ありません。

20歳の時の一年と、その時に感じていた、その数年先
25歳の今の一年と、今感じている、今後数年先
この五年間に背負ったものは、生きがい。
大げさに聞こえるかもしないけれど、自分は人生を賭けようと決めた。
決めた、というか、気が付いたら決めていた。
今はそれを担ぎきれていないだけか、それとも担ぎきるという発想が間違っているのか。

自分の願う事は、とてもシンプルなのに、
それがシンプルに響かない。人生とはそういうものなのでしょうか。
それを、シンプルにしてみせるのが、生きる、という事でしょうか。
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by u2k_maru | 2009-01-23 14:38 | 思う事

プロフェッショナル

自分には、アメリカ一年目を過ごしたWinonaで出会った、特別な友人がいます。
彼の専門は、Strength & Conditioning。
自分のAthletic Trainingと、とても近い専門。
彼とは、特別よく遊んだりしたわけでもないけれど(というか、アメリカ一年目は遊ぶ余裕が無かった)、ウエイトをしにジムに行けば、ほぼ100%の確率で会ったし、体育館でも一緒にバスケをしました(遊ぶ余裕はなかったけれど、トレーニングとバスケの時間は作ってました)。
咋夏のコロラドでのシンポジウムにも、一緒に参加をしています。

自分にとって、S&Cにおいては彼の右に出る者はいません。
もちろん、今は大学院でGAをしていて、発展中の彼ですから、現時点の彼の力量を上回る人達はいるでしょう。
でも、彼のS&Cに対する、他とは一線を画した姿勢を知っているので、将来性を含めて考えると、彼が一番なのです。

とても謙虚な人なので、周りに積極的に情報を発信するタイプではないけれど、彼が年明けに書いた”Professional in S&C”という題の日記を読んで、これは多くの人にいい刺激をあたえるだろうな、と思って、了解を得て引用します。
ちなみに、関西人です。


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ほんで、今回タイトルやねんけども。

去年、色々学んで、それを振り返ってみて、ふと思ったのよ。

S&Cのプロフェッショナルってなんやろ?って

正確にいうと、S&Cのプロとアマまたは他の分野のプロ(たとえば、PT)を分けるものってなんやろってこと。

それは、もちろんトレーニングやねんけど、もっと正確にいうと科学的根拠または科学的根拠から推量される理論に基づいた知識を持ち、それをトレーニングという現場でコーチングという形を取って実践するということじゃないかなと思うねん。

そんなんわかってるわって言われそうやけど、ほんまはどれぐらいの人がちゃんとわかってるんやろ?

セミナーでトレーニングのプレゼンをみたり、トレーニングについて書かれた本を読んで、それをそのまま実行するのはアマチュアの人でも、PTの人でも筋トレとスポーツの経験があれば結構出来てしまう。

そして、これは明らかに間違ってるはず。

S&Cのプロとして、本を読んだりプレゼンを聞いたりするときは、その情報に科学的根拠があるのかどうか、または科学的根拠に基づいた理論で説明が出来るのかどうかという部分を考えなあかん。

この観点から、参考資料(英語でいうreferences)がない本は、どんなに有名な人が書いてても、どんなに良いものであっても、良い本とは決して言えへん。

セミナーなんかのプレゼンもおんなじこと。

さらに言うと、参考資料は、研究論文でなければ、これまた良い本とは決して言えへん。

参考資料のついてない本やインターネットで書いてあったことは参考資料にはならへん。

もし、参考資料にしようとしている本が、研究論文を参考資料にしているのならば、その研究論文を参考資料にしなければいけない。

個人の思いつきで物事を行うのは、アマチュア。

プロは、根拠のある知識に基づいて、物事を行う。

もちろん、すべてのことが研究で明らかになってるわけではないから、現在わかっていることに基づいて、理論的に推測をしなければならないことも多々。

経験も、もちろん大切のもののひとつ。

しかし、プロとして決して忘れてはならない根底にあるものは、科学的根拠。

経験は、それに基づいて解釈され、未来の行動に生かされていくもの。

「良いS&Cコーチ」と言うものは、科学的根拠によって物事を判断し、なおかつ豊富な経験によって、様々な状況に対応でき、トレーニングにおけるアスリートのポテンシャルを引き出せるコーチング能力のある人をいうんではないんかな。

ライセンスが無いために、誰もがS&Cコーチと名乗れるこの業界。

真のS&Cコーチを目指すならば、研究論文は必読。

そのためには、運動生理学、バイオメカニックス、解剖学、英語などなどの基本的な理解も必要不可欠。

簡単な事ではないけども、でもプロは普通の人には難しいことが出来るからプロといわれるという解釈も無きにしも非ず。

世の中に100%は絶対無いし、こんなこと書いてる自分も以上の過ちを何回も犯してきたし、これからも多かれ少なかれ、以上の過ちは犯すはず。

でも、常により良くを心がけ続けることは、プロである上での最低必要条件やと思う。

ほんまにもう一度、ようく考える必要があるんちゃうかな?

足からから足へ移動するという「特異性」の観点から、ウォーキングランジが走ることに関しては、1番のエクササイズやと思ってへん?

肩の怪我の予防やリハビリのために、rotator cuffのエクササイズばっかりやってへん?

体幹のトレーニングとして、自体重のエクササイズや腹筋やクランチとかやってへん?

不安定な表面でバランスを取って行うエクササイズは、すべてのアスリートの怪我に予防なると思ってやってへん?

野球の球を速く投げたいから、ゴルフでドライバーの飛距離を伸ばしたいからと言って、上半身のトレーニングを中心にしてへん?

卓球、スキー、バドミントン、などなど力を使うスポーツじゃないから、重い筋トレをする必要がないと思ってへん?

陸上長距離の選手やからって、軽い重さで、回数をやって筋持久力をつけるほうがいいと思ってへん?

自分が今までしてきた説明を裏付ける科学的データを自分はどれだけ知ってる?

2008年のうちで一体何個の研究論文を読んだ(要約とかではなく)?

アマチュアの人は、こんな質問にたいして、自分の思ったことを理論的に答える。

プロは、科学的根拠に基づいて理論的に答える。

2009年、そしてこれから以後ずっと、こういうことを肝に銘じてより良いプロになりたいとおもう。

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自分も、彼と同じCSCSという資格を持っていますが、自分の一番の専門ではないとはいえ、自分がおなじ資格を持っていると言う事を恥ずかしく思うくらいです。
こういう風に感じるのは、今のところ、彼に対してだけです。

資格をもっているだけで、自分は~ができると勘違いしてはいけません。
おなじ資格をもっていたとしても、そのレベルには天と地の差があります。

さて、彼の文章は、われわれATにとっても重要なことを言っています。

人の体が自然治癒力を持っている以上、そうとう大きな間違いを犯さない限り、いや、範囲内の間違いを犯したとしても、人の体は治っていきます。
素人が患部にアイスを乗っけたとしても、ある程度の炎症は抑えられてしまうわけです。

ここで、どれだけProfessionalになれるか。
どれだけ、現時点のことに疑問をもって、研究論文、つまり科学的根拠に基づいた、よりよい方法を探究しつづけるか。

全ての行為がEvidence basedになる事は難しく、時には経験と、自分の理論をもちいる必要はあります。
ですが、それは、Evidence basedを放棄する、という意味であってはいけないと思う。

よく思うことですが、自分が人にトリートメントの説明をする時に、”アメリカでは” ”NBAでは”などという言葉を使ったら、自分はお終いです。
あくまで自分の意見ですが、100年の経験より、一本の信頼できる研究論文。


今月末は、Knicksのメディカルスタッフを相手に、Pelvic girdleにおけるMuscle Imbalanceについてのプレゼンをする事になりました。
自分の興味のあった分野で、細々と独学を続けてきたので、まとめる意味でも良い機会。
ちょっと張り切ってみます。
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by u2k_maru | 2009-01-18 13:26 | 思う事

歩みを緩めること

大切なのかもしれません。
が、それが中々できないのは、いちど歩幅を緩めたり、速度を落としてしまうと、今まで必死に積み上げてきたものが崩れてしまうような恐怖を感じているようです。

走り出すこと、走り続けること、そして、歩を緩めること。
一番勇気がいるのは、歩を緩めることのようです。

こういう状況時に、自分が求める場所は、バスケットコート。
車で10分の練習施設は24時間オープン。
自分のドリブルする音だけが響く、誰もいないコート。
体が動くままにドリブルをし、思索に耽る。
体と頭を引き離せるから、逆に頭がスッキリします。

ある程度、アイデアがまとまったら、次はシューティング。
これは、完全に意識も体も、ゴールと自分の感覚に集中。
一度、すべてを頭から引き離して客観的に見直すのは大切です。
シューティングマシンを使って、1時間位、ひたすらシュートを打ち続けました。

結局、結論はでません。
そう簡単に出ないの事も、分かっています。

捉われないこと。
これがキーワードのようです。
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by u2k_maru | 2008-12-15 13:28 | 思う事

原点と矢印の反転、脱皮

自分の核となるモノを形成する際に、大きな影響を及ぼした存在たち。
言い方を変えれば、短期的にではなく、普遍的とも言える位に影響を受けた存在たち。
10年以上前に出会ったものもあるけれど、それから多くのものを身につけ、変化してきたであろう10年後の自分に対しても、当時と同じように響きます。
それらが何であるか、という話ではありません。
書くつもりもありません。自分を晒しているような気持ちになってしまいます。

ここ数日、妙な違和感を自分の中に感じていました。
普段はあまり感じない、苛立ちのようなものを自分の中に気づく時も度々ありました。
思い当たる原因はあるのだけれど、それでも納得がいかず、おかしいなあ、と。

先日、自分の人生を変えたともいえる人との出会いがありました。
とても感激したし、感謝の気持ちを伝えられた事が何より嬉しかったです。
が、奇妙なことに、その忘れられない一日のあとでさえ、自分の中にある違和感は残り続け、それどころか、さらに膨れ上がりました。

そして、自分の無意識の行動にヒントが隠されていたようです。
なんとなくインターネットを使っている時に、ふと探したくなるのは、もう何年も、ものによっては10年以上も離れていたモノたち。
そしてそれらに再会するにつれ、自分の違和感の正体が分かった気がします。

気が付けば、もう25年間生きています。
自己というものに気づいてから、多くのモノに影響を受け、その影響から逃れては、また新しいモノに影響を受ける、ということを繰り返して、今の自分がいます。

夢であった舞台に到達した事によって、既存する存在に向けていた矢印は、自分の中に向き始めています。
もちろん、たかだか25年間で分かったこと等、たかが知れているのは承知です。
だけれど、今までに経験したことのない根本的な変化が起こってきている、そんな感じがするのです。
脱皮をする昆虫は、こんな気分なのでしょうか。
だからこそ、変わる前の自分に普遍的な影響を及ぼした、原点ともいえる存在を求めたのか、というのが自分の今のところの理解です。

自分の勘違いかもしれませんが。
一休さんカットの頭が風邪を引いただけかもしれませんし。
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by u2k_maru | 2008-12-07 11:33 | 思う事

覚悟

とうの昔から、出来ているつもりだった。
けれどそんなものは、当たり前だけど、その瞬間がやってくるまで試される事はない。
実感がないままに腹を括ってみても、所詮は「つもり」。
こめかみに拳銃が当てられたその瞬間まで、「本当」はみえない。

そんな事はわかっているけれど、もう一度、自分の心を決めなければ。
「つもり」である事に変わりはないけれど、それでも、もう一度。
手で拳銃をつくり、こめかみに当てて、もう一度。

動じない心を持つことは、今の自分には無理だけれど、
少しでも揺るがないように。
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by u2k_maru | 2008-11-14 13:19 | 思う事

働く事、文章を書く事

試合の日に働くのは、シカゴであった選手との再会を含め、とても楽しい。
ただ、いつも働いている練習場ではないために、やりにくい事がある事も事実。

例えば、試合の日にしか顔を合わせないボールボーイ達との関係。
彼らの仕事は、試合中の選手の脱ぎ捨てたウォームアップを畳んだり、タオルを渡したり、試合後のユニフォームの回収など。
彼らが、自分の事を気に入っていないのは、あからさまに分かります。

インターンの自分の仕事は、ヘッドトレーナーのアシスタントトレーナーの、そのサポート。試合中に人目につく仕事をする機会は物凄く少ないです。
だけれど、いつでもヘッドやアシスタントトレーナーの要望に対応ができるように身構えています。
ボールボーイ達の仕事を手伝いたいのだけれど、彼らの人手は十分に足りている上に、やはり注意を自分の仕事から逸らすわけにはいきません。たとえ実際に動く機会は少なかろうとも。
試合の後も、洗濯物の回収をしている彼らに比べたら、自分のする仕事は必要最低限のトリートメントだけ。選手も疲れていて早く帰りたいのです。

そういう自分は、彼らから見れば、大して働かないヤツがどうしてここにいるんだ、と映るようで、そういう態度をあからさまにとります。
きっと、そういう自分が彼らよりもチームの内側に属している事が余計に気に入らないんだろうな、とも思う。

一度、ボス格のボールボーイにつっかかられたので、自分は自分の仕事の説明をしました。それでも見下すような態度をとられたので、別にいいや、です。
自分は自分の仕事を誇りをもってする。
人に見てもらう為に仕事をするのではなく、チームの為に働くのみです。

前の試合中は、ゴールの真下に座っていたのだけれど、そこにいるカメラマンにも、似たような態度を取られました。これまた説明をしたけれど、その後もまたブツブツいうので、同じく、別にいいや、です。

自分と彼らの関係がチームに影響を与えるならば考え物だけれど、あくまで彼ら個人の、自分に対する印象だから気にする必要はないと判断します。
彼らには、彼らの仕事があり、自分には自分の仕事がある。彼らには自分ができない事があり、自分には彼らにできない事がある。それが理解できないなら、構ってられません。

せっかくなので、もう一つ別の事を。
NBAでのインターンをブログに書いていて、きっとこのブログを読んでいる人の中には、いい思いをしない人もいるかもしれないな、と思うことがあります。
もしかしたら、何を調子にのっているんだ、と思う人もいるかもしれません。
ですが、自分は書きます。
無駄に誇張せず、必要以上に謙虚になる事なく。

大きな舞台にいるからといって、自分が優れているなんて勘違いは間違ってもしないし、高校や大学でGAをされている人やインターンをされている人に比べたら、純粋なAthletic Trainerとしての経験は、彼、彼女らより確実に劣ります。それも、十分に承知しています。
だけれど、ここには、ここでしか経験できない事もあるのも事実。
働いている場所の規模の大きさだけでは、その経験の価値は評価できません。

自分はATのプログラムに入る前には、プログラムで勉強している方達のブログを読んで大きなモチベーションを貰っていたし、プログラムに入った後は、ATCとして働いている人たちのブログを呼んで、彼、彼女らに追いつきたい、同じ経験をしてみたい、と発奮材料にさせてもらったものです。

仮に、10人の人が自分のブログに好感を持たなくとも、1人の学生やNBAで働きたいと思う人のモチベーションや参考になれば、それでいいと思っています。
非難、中傷の類は一切書かないので、読みたくない人は、読まなければいい、というのが基本的な構え方です。

もう一つ、と書いたけれど、勢いに任せてもう一つ。

言葉で表現をするというのは、非常に危険が伴うものだと思います。
自分の行動を言葉で飾って正当化する危険。
例えば、自分の思い通りの結果が出なかったとき、それを「これは失敗ではない」という風に表現をする事。
人生は、相当極端な事が起きないかぎり、その道がどん詰まりになる事はなく、選択肢が無数にある以上、その数の分だけ解釈の仕方があります。だけれど、その出来事が起こった後の立場から、自分を守る為に、その出来事に向かっていた自分を見ぬ振りをしてしまうのは、よい事だとは思えません。自分自身に言い聞かせるだけでなく、公の場に書いてしまう事で、さらに自分を錯覚させてしまう事があるように思えます。

自分の目指していた場所に辿り着かなかったとき、失敗をした時に、自分を飾らずに「自分は負けた」と言える潔さを持っていたいと思う。でも、思っていた以上に自分は自分に対しては負けず嫌いなので、まずは負けない事が第一です。
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by u2k_maru | 2008-11-02 13:56 | 思う事